草加市の概要
松尾芭蕉ゆかりの地として知られる草加市は、東京都足立区に隣接する埼玉県東部地区の玄関口で、水と緑に恵まれた中川、綾瀬川下流域に開けたまちです。都心まで15kmほどという立地にありながら、宿場町の面影を残す落ち着いた雰囲気の住宅地ですが、現在、松原団地の建て替え、草加宿を中心とした再開発が進められています。
草加のあゆみ
寛永7年(1630)、江戸幕府から奥州日光街道2番目の宿場町として認可され、草加の歴史が始まりました。開業当初は小さな宿場でしたが、江戸後期には大規模な宿場へと成長し、まちを流れる綾瀬川・中川などの河川は、物資の集散地としても栄えました。
明治時代になると、草加市域は小菅県を経て、埼玉県に属することとなりました。日光道中は国道として整備され、さらに交通の要衝としてますます発展していきました。また、明治22年(1889)には、町村制の施工を受け、草加町、谷塚町、新田村、安行村、八条村、川柳村へと生まれ変わりました。鉄道が開通すると船着場は衰退し、これまで農業中心であった草加市域には、皮革・染物業者が転入、また、草加せんべい、ゆかたや布さらし業が生まれ、特色のある地場産業が育っていきました。
第二次世界大戦前後には、化学、製紙関連業なども相次いで進出し、県下有数の工業都市へと変貌を遂げました。昭和33年(1958)11月1日には、県下21番目に市制が施行され、草加市が誕生しました。その後、「東洋一のマンモス団地」と言われた松原団地が造成され、東武鉄道・営団地下鉄日比谷線相互乗り入れなどをにより人口が急増、都市化が進行しました。これを受けて昭和48年(1973)から平成12年(2000)にかけ、大規模な都市基盤整備を行い、現在、水と緑を生かし、「快適都市・草加」の実現に向け、さまざまな取り組みを展開しています。
草加の名前の由来
その昔、千住から越谷間は沼地が多いため、東側の八条(八潮市)から古利根川沿いを迂回しなければなりませんでした。そこで、慶長11年(1606)に地元の大川図書が、低湿地帯を草木を束ねて敷いた上に土で固め、千住と越谷をほぼ一直線に結びました。この「草を加えて」道を造成したことにちなんで「草加」と名づけられたそうです。
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| 草加の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓ |
市立歴史民俗資料館 |
| 住所: |
埼玉県草加市住吉1-11-29
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| 電話番号: |
048-922-0402 |
| 開館時間: |
9:00〜16:30(第2・4月曜12:00〜) |
| 休館日: |
月末日、年末年始 |
| 入館料: |
無料、特別企画展別途
※予約:要(20名以上) |
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